転載(1)

〈日本製映画〉の読み方 1980-1999 フィルムアート社 1999年発行

1980年から1999年まで、20年間を代表するとされる監督50名を取り上げ日本映画の滅亡を白日の元に曝け出した本である。
 思えば、にっかつロマンポルノ制作中止、ロッポニカの失敗、各映画会社制作本数激減等、ブロック・ブッキングの崩壊の流れが松竹の映画製作縮小という形になり、旧来の形の日本映画は殆ど息の根を止めてしまったのだ。その間20年。それは、長いのか、短いのか。巻末に申し訳なさそうに列挙された監督達のリスト「これだけは押さえたい日本映画史」。大林宣彦監督、神代辰巳監督、若松孝二監督、深作欣二監督、鈴木清順監督等々。生きながら「日本映画史」にされてしまった監督達である。これらの監督達がちゃんとした形で作品を発表出来なかった20年。たった2本しか作品を発表していない長谷川和彦監督もその中に入るかもしれない。
 反面、この20年を支えたとされる主要監督50名は、大多数が大手映画会社ではなくPFF等の独自ルートから登場した監督達である。果してそれは、本書巻頭にある様な「脱、日本映画」だったのだろうか?。これらの監督の多くの作品が単館、もしくは小規模公開であると言う事実。当然の事ながら、ほとんどの作品がそれなりの観客しか動員していないと言う事実。そしてそれらの作品はビデオショップでは、棚の肥しにしかなっていないと言う事実。その辺りを踏まえた上で、本書が言う所の「脱日本映画」とは一体何なのか?。

「製」を辞書で引くと、「つくる」という事である。電気製品、例えばテレビ等「日本製」「韓国製」「中国製」等各国で作られてはいるが、「××製」の製品が良いと言った所で、所詮テレビはテレビだ。それは、ひょっとすると「日本製」の自動車が米国でウケる様な事かも知れない。そして、ボクらも国産車よりは外車が好きだったりもする。
 果して、映画もそう言う事なのか?。現在、日本映画壊滅後の流れが、単館、小規模公開である事は事実である。
近年、「日本製映画」は外国の映画祭で数々の映画賞に輝いている。しかし、それらの映画が国内ではほとんどが単館、もしくは小規模公開である事実はどう考えれば良いのだろう。確かに、制作、興業形態、宣伝、観客等問題は山積している。しかし、そこで公開される「日本製映画」の矛先が遠い彼方に向いている限り、日本映画の状況は益々下降してゆく事になるだろう。(2000.7.23)

〈追記〉本書「日本製映画」の論争的作品 14作品に対する個人的評価
爆裂都市(○) 家族ゲーム(未見) コミック雑誌なんかいらない(○) ゆきゆきて神軍(○) 鉄男TETSUO(×) あの夏、いちばん静かな海(○) 月はどっちに出ている(×) 病院で死ぬということ(×) トカレフ(×) 渚のシンドバッド(未見) スワロウテイル(×) CURE キュア(未見) 萌の朱雀(×) 由美香(×)

13号倉庫のHP
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